久能山東照宮
2022/01/10
久能山東照宮くのうざん とうしょうぐう |
ここは久能山の山の上にあり、
下から長い階段を登るか、
上から日本平ロープエウェイで下って行くかになる。
今回はロープウェイを使った。
ここから、割引券が手に入る。(約1割引き)
日本平ロープウェイ クーポン (shizutetsu.co.jp)
ロープウェイは普通上るものだが、
ここでは、更に高い日本平から下ることになる。
祭られているのは、もちろん家康であるが、
相殿として、信長、秀吉も祭られているとは知らなかった。
東照宮と言えば、日光だが、
実際には、久能山の方が先に造られている。
家康のこの遺言によるものである。
「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、
三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、
下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」
黒と金を中心とした極彩色に彩られ、
とにかく豪壮、豪華である。
五重塔〈跡)もあったりして、造りとしてはお寺っぽいが、
家康を神様として祭っているので、一応神社ということになる。
一番上まで登っていくと、「神廟」がある。
ここには、神社の雰囲気はまったくない。
やはりお寺である。そしてお墓である。
家康が神となってはいるが、種類(?)が違い過ぎる。
この神廟の右手前に楠があり、「金の成る木」と呼ばれている。
神廟の少し下の両側に古い石垣が結構残っている。
マチュピチュではないが、表面が平らに近い石が、
各辺は直線なのだが、途中でくねくね曲がっていて、
ほぼすき間なく積まれている。
日本ではあまり見ない形式ではないかと思う。
神仏習合の時代のものだから、
あまり区別する必要はないのだが、
ここは神社ではなく、
広くて大きなお墓だと思った方がよいと思う。
もちろん、日本に久々の太平の世を取り戻し、
日本独自の文化の礎を築いた徳川家康の功績は偉大である。
ちなみに、なぜ「東照宮」というのか?
元和3年(1617年)に朝廷から「東照大権現」の神号と
正一位御追贈の宣下があり、はじめは「東照社」と称し、
その後、正保2年(1645年)宮号の宣下があり、
それ以来「東照宮」と呼ばれるようになったそうだ。
ついでに言うと戒名もあり、
「東照大権現安国院殿徳蓮社崇譽道和大居士」
というそうだ。
水祝神社 |
日本平ロープウェイの乗り場のすぐそばに、水祝神社がある。
上の写真のように、鳥居と簡素な祠と石碑だけの小さな神社だが、
個人的には、久能山東照宮よりも、
こちらの方がかなり強い氣を感じた。パワースポットだ。
かつて日本平は水が出なくて困っていたのだが、
日本平ロープウェイを作った静岡鉄道が水脈を見つけ、
ここに水の神様を祀ったそうだ。
(昭和39年=1964年竣工)
<おまけ>
帰りの途中で寄った道の駅に、
こんなご当地コーラとサイダーとかが売られていた。
面白いと思ったが、買わなかった(笑)
上段:富士山頂コーラ、うなぎコーラ、みかんコーラ、静岡茶コーラ
下段:マスクメロンサイダー、いちごサイダー